蛇口をひねれば、安全でおいしい水がいくらでも出てくる――。日本ではごく当たり前として考えられていたことが、近い将来、当然のことではなくなってしまうかもしれない。日本の水道事業が、大きな課題に直面しているからだ。数十年前に整備されたプラント・設備の老朽化、人口減少による自治体の財政難、熟練技術者の退職に伴うノウハウ継承などが直面する課題の一例だ。このような状況の中、水道事業を持続していくためにはどうすべきなのか。日立は、社会イノベーション事業で培った技術、ノウハウ、そして最新のデジタル技術を生かして自治体や企業と協創することにより、安全でおいしい水を通じて住民に安心と健康を提供し続ける自治体の挑戦をサポートしている。
日本人は水と安全はタダと思っている――。約40年以上前、作家のイザヤ・ベンダサン(山本 七平氏)は「日本人とユダヤ人」でこう述べた。実際、お風呂、トイレ、洗濯といった生活用水に加え、農業用水、工業用水もタダ同然のようなものとして使い続けてきた。
しかも飲料としての品質も高い。海外では、水道水をそのまま飲める国は数える程度しかなく、日本の水道水がおいしく飲めることに驚く海外からの旅行者は少なくない。日本の水道水がそのまま飲めるのは「水道法」によって水質基準が定められ、厳しい基準に適合できるような浄水処理施設を整備し、多くの職員の手によって運営されてきたからだ。
しかし、こうした日本の上下水道を取り巻く環境が、深刻化しつつあるのだ。日本国内の上下水道の大半は、今から50年以上も前の高度経済成長期に集中的に整備されたもの。そのため水道管を含む水道施設が老朽化し、年間2万件以上の漏水・断水事故などが発生している。
また、経営基盤の不安定化も進んでいる。少子高齢化や過疎化によって地域の給水人口が減少し、料金収入が低下する一方、施設のメンテナンスや耐震化への投資が増しているからだ。厚生労働省によれば、すでに自治体における水道事業の約3割が赤字経営になっているという。さらに、水道事業に携わる職員数は、1980年をピークに3割程度減少しており、水道管の漏水検知技法やメンテナンス技術の継承も難しくなってきている。これでは、これまでのように安全でおいしい水を提供していくことも容易ではない。
つまり、「ヒト」「カネ」「技術」の損失が拡大しつつあるのが日本の水道事業の現状だといえるだろう。さらに社会インフラに投じられる予算の縮減傾向が続き、大規模な自然災害も相次ぐ中、人々の暮らしを支える上下水道の基盤を、いかに持続可能としていくか――。これは、日本のみならず世界においても重要な課題となっている。
これらの状況から脱していくためにはどうすべきなのか。その切り札の1つが、官民連携の強化だ。官民連携によって、民間の経営ノウハウやマネジメント力を事業に活用することができる。さらにデジタル技術を中心とした先端技術を活用すれば、さらに効率・最適な水道事業を運営していくことも可能になるだろう。
こうした観点から日立では、1世紀にもおよぶ水環境ソリューションでの幅広い実績を基に、国内の上下水道事業者と幅広い形態での事業を展開。持続可能な上下水道の実現をめざした取り組みを行っている。
函館市との協創
その1つが、北海道函館市との協創だ。函館市は給水人口約26万人(2018年3月時点)を擁する都市。自然と調和した、安心・清潔な水の提供を理念に据え、安定的な水道事業を営んできた。地道な取り組みによって、収支状況は安定しているが、浄水場や管路といった施設の老朽化、ベテラン職員の退職など、他の地域と同様の課題を抱えていた。
実際、市の人口は、1980年の 34万5165 人をピークに、2015 年には26万5979 人に減少。水道の料金収入は、2006年度の約45億円から2015年度には約 41 億円に、市の上下水道事業に従事する職員も、同じく2006年度から76人減少し2015年度末で186人となっている。
そこで函館市は未来の課題を見据えて、DBO(Design Build Operate:公設民営)方式での公募型プロポーザルを実施。最終的に日立、富岡電気工事、日立ハイテクフィールディングの3社で構成される「箱館アクアソリューション」が2019年3月に事業を受託した。
この事業で注目したいのは、20年間という長期的な取り組みであることに加え、事業環境の変化に応じて民間から自由な提案ができる点だ。プロジェクトは2019年4月に始まったばかりだが、すでにさまざまな形で新しい提案や検証を始めつつある。
浄水場のプラント設備設計はその一例だ。給水人口が減少していく中、浄水場をどう統合していくのか、水源の水質を見ながら取水のポイントや水道管の配置も含めて、最適な提案を行うことになっている。その他にも、安全な水を維持するための残塩管理や、運転・保全管理業務の改善計画の立案、新たに導入した設備管理システムをベースに巡視点検業務のデジタル化などをスタートさせている。
さらに今後は、「業務ナビゲーション」の導入、過去の運転実績を基にしたAI活用による「プラント運転支援」、「水質予測」といったデジタルソリューションの実証も進めながら、業務効率とコスト低減を一段と加速させていく計画だ。
左:大船浄水場 右:巡視点検の様子
O&M支援デジタルソリューションの概念図
いかに安全、安心かつ持続可能な水道事業を展開していくか。この実現に向けては、浄水場や下水処理場にかかわる高品質な設備・システムのみならず、OTやITとの幅広い連携による全体最適化が必要となる。
その点日立は、上下水道事業者向けの各種システムやサービスなど、ライフラインを支えるための信頼性・安定性・安全性を重視した水環境ソリューションを長年にわたって提供してきた。特に、上下水道の中枢をなす監視制御システムの納入実績は、今日まで約2,100システムにものぼる。
こうした豊富な実績と経験を基に体系化したのが、IoTを活用した上下水道事業のクラウドサービス「O&M(※1)支援デジタルソリューション」である。
このソリューションには、デジタルイノベーションを加速するための日立の「Lumada」が活用されている。上下水道にかかわる設備情報や運転情報、作業記録、故障・修理情報などのさまざまなデータを、IoTを活用してクラウド上に集約し、AIやアナリティクス、AR(Augmented Reality:拡張現実)などの先進のデジタル技術を活用することで、運用・保全業務の可視化・省力化・効率化、ノウハウ継承を支援する仕組みだ。
先に触れた函館市をはじめ、さまざまな自治体の水道事業においても同ソリューションを活用した取り組みが行われている。埼玉県戸田市と締結した上下水道事業の包括委託においても大きな成果をあげつつある。
例えば、運転管理の効率化をめざし、タブレット端末による保守点検が導入されたのはその1つだ。巡回点検作業が「いつ」「誰に」よって行われたのかのエビデンスがデータ化された。これらのデータを整理、見える化して解析すれば、異常の早期発見や運営の効率化など今後さまざまな課題の解決に役立てることが可能となる。
動画:戸田市 上下水道事業の取り組み
さらに、これまで熟練者が手作業で行っていたポンプの制御をAIで分析し、誰でも適切な運用計画を立案できることをめざしたPoV(Proof of Value)を開始している。従来、ポンプの運転員は、直近の稼働情報だけでなく、過去の運転記録や現在・過去の天気をもとに、多様な条件下でポンプの起動や停止をするタイミングを判断している。地震や雷による停電などの緊急時の対応など、運転員の創意工夫により業務効率の向上と運転品質の維持が成されてきた。今後、そうした豊富な経験値を有する多くの運転員が減少していくことになるが、AIによって手本となる過去の運転記録を分析できれば、運転員のスキルに左右されることなく、効率のよい安定したポンプ運転と技能の伝承が可能になる。
今後も日立では、さまざまな協創を実践しながらO&M支援デジタルソリューションの機能をさらに充実させるとともに、管路管理、事業経営等を含んだソリューションの拡充を継続。持続可能な水事業と暮らしのQoL向上の実現に貢献する総合デジタルソリューションとして進化させていく。
西部浄水場
公共下水道新曽ポンプ場
水道事業に課題を抱えているのは日本だけではない。世界に目を向ければ、安全な水が供給できていないという従来からの課題に加え、急激な人口増加や気候変動、環境の悪化などにより、上下水道の供給ができないといった、複雑化する課題を対策できずにいる国や地域は多い。
先進国においては、日本と同様、社会インフラに大きな課題を持っている。例えば英国のロンドンでは上水道の漏水率が25%を超えているという。また、新興国では、インフラを整えたものの運用ノウハウがなかったり、水不足に伴う健康被害が深刻化し、より安全な飲料水サービスや水域の環境改善が求められている。
こうしたグローバルの水道事業における課題解決に向け、これからも日立はIT/OT/プロダクトをすべて併せ持つ日立グループの強みと、国内外のパートナーとの協創により、インフラシステムの設計から施工、稼働したシステムのオペレーションまでを一括して担うトータルソリューションの提供で、地球規模での水道事業の改善と、持続する都市づくり、街づくりに貢献していく。
公開日: 2019年11月
ソリューション担当: 日立製作所 水・環境ビジネスユニット 水事業部