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日立の人:「超ミクロの世界から、社会を変えていく」研究者の挑戦

2025年1月22日 土橋 水菜子

望遠鏡を手に、夜空に浮かぶ星を眺めていた少年はいま、電子顕微鏡を使って、これまで誰も見られなかった極小の世界の謎を解き明かそうとしています。

その小ささは、物質を構成する最小単位の原子レベル。世界で初めて、原子が規則的に並んでいる平面(格子面)の磁場を観察することに成功し、未知の世界の解明をリードしています。

見えないものを見てみたい──電子顕微鏡で、超ミクロの世界を探究する日立の研究者、谷垣俊明さんを突き動かす思いについて、迫りました。

世界最高レベル性能の電子顕微鏡と谷垣俊明さん
世界最高レベル性能の電子顕微鏡と谷垣俊明さん(写真:野崎航正)

世界最高の電子顕微鏡で謎に挑む

埼玉県鳩山町。東京駅から約60kmという場所にありながら、美しい緑に囲まれたこの土地に、谷垣さんが主管研究員として所属する日立製作所 研究開発グループの鳩山サイトがあります。

谷垣さんの仕事を一言で表現するなら、「見えないものを、見えるようにすること」。世界最高レベルの性能を持つホログラフィー電子顕微鏡を用いて、金属、セラミックス、塗料……と、世の中のさまざまな物質を原子レベルで観察し、その性質の解明に挑んでいます。

過去には、小惑星探査機「はやぶさ2」が小惑星リュウグウから持ち帰った砂粒を観察したこともありました。

「これまで、たくさんの試料(分析の対象として使う物質や標本)を見てきましたが、『この物質は、こんなふうに原子が並んでいるのだ』『思っていたのと違う』など、毎回驚くことばかりです。顕微鏡で超ミクロの世界をのぞくたびに、ワクワクしています」

インタビューに応じる谷垣さん
インタビューに応じる谷垣さん(写真:野崎航正)

観察する試料に光を当てて、レンズで拡大して見る光学顕微鏡とは異なり、電子顕微鏡は、光の代わりに電子波を当てて、観察します。

「電子波が試料を通り抜けたのか、それともぶつかって屈折したのか。試料によって生じた波の干渉をもとに、電子顕微鏡がホログラム(=立体的な写真)を写し出してくれるのです」

望遠鏡を欲しがった少年時代

谷垣さんは、幼少期を滋賀県大津市伊香立途中町で過ごしました。琵琶湖の西側に位置し、山々に囲まれたその地は、まさに「自然のおもちゃ箱のような場所」。日中は植物や昆虫を観察したり、木で工作をしたりして遊びました。

1日の最後のお楽しみは、夜空に輝く星です。両親に連れられて、よく星空を眺めていたと言います。

「空気が澄んでいる場所だったので、星がとてもきれいに見られました」

しかし、成長するにつれて、谷垣さんは疑問を持ち始めます。

「星の表面にクレーターがあったり、星の周囲に輪っかのようなものがあったりすることを、図鑑で知り興味を持ちました。肉眼では小さな『点』にしか見えないのに本当にそんなことがあるのか」

細部まで見てみたい。谷垣さんは、望遠鏡を両親に買ってもらい、月を観察してみました。

「ボコボコしたクレーターがあった。これまで、見られなかったものが、見えた瞬間です」

その感動から、谷垣さんは理科の分野にすっかりのめり込んでいきました。

高校ではヨット部に所属していましたが、「どうすればヨットをうまく動かせるか」よりも「なぜ、ヨットが動くのか」といった仕組みが気になります。気になることがあれば、書店に足を運び、答えを求めて本を読みあさりました。

大学3年の時、さらに転機が訪れます。

「研究室を選ぶ際に、初めて日立の電子顕微鏡を目にしました」

勧められ、電子顕微鏡を使ってみます。

「まざまざと、ミクロの世界を見せつけられました」。映し出されたナノサイズの粒子がずらりと並んだ様子を、谷垣さんはそう表現します。

「自分の目では煙のように見えていた物質が、電子顕微鏡を通すと、見え方がまったく違うのです。面白い、面白いぞと、それからはミクロの世界にどっぷりです」

2004年、谷垣さんは日立に入社しました。

100通り方法あれば、100通りやり切る

日立による電子顕微鏡の研究自体は、1939年にさかのぼります。

1942年には、国産商用第1号機(HU-2型)を製造しました。その後も改良を続け、2014年、当時の世界最高の分解能を誇る、1.2MVの超高圧ホログラフィー電子顕微鏡を開発。理化学研究所(以下、理研)との共同研究で2017年、同電子顕微鏡を用いて、0.67ナノメートルの磁場の観察に成功しました。

1ナノメートルは、10億分の1メートル。髪の毛の太さの10万分の1という、途方もなく小さな世界です。一方で、クリアすべき課題はまだありました。一つが「ピントのずれ」です。

「1000枚近く電子顕微鏡で撮影して、ようやく1枚ピントが合ったものがあるという状態でした。この性能を上げていけばもっと小さい世界も見えるはずです」

1939年から代々続くバトンを受け取り、谷垣さんの挑戦が始まりました。

「『こうすればピントが合う』という答えが明確に分かっていれば、外部のエンジニアにプログラミングを依頼できます。けれども、『どうすればピントを合わせられるか』について、解を探しながら研究を進めている状態。自分たちで、一つずつ試してみるしか、方法がありません」

100通りの方法があれば、100通り全てをやり切る。地道な努力を重ね、自動撮影した画像のピントを「撮影後に自動補正する技術」を開発しました。

電子顕微鏡内部で作業をする谷垣さん
電子顕微鏡内部で作業をする谷垣さん(写真:野崎航正)

精度が上がった結果、世界で初めて、0.47ナノメートルという原子が規則的に並ぶ磁場の撮影に成功しました。

その功績は高い評価を受け、世界中の研究者が論文掲載をめざす国際科学誌「Nature」に、谷垣さんが中心になってまとめた論文が掲載されました。

科学を「一歩先」に進めるために

磁力が働く世界を原子レベルで観察できることは、社会的に大きな意義があります。

「例えば、モーターは磁石の力を利用して回る仕組みになっています。モーターをもっと速く回転させるためには、強力な磁石が必要です。その開発のヒントを得るためには、磁力を発生させている物質を原子レベルで観察して、メカニズムを知ることが重要なのです」

原子の並び方によって磁場はどう変化するのか。原子や磁場はどのように相互作用しているのか…。それらを知れば、新素材の開発で、より良い原子の並びや組み合わせを考えることができるようになります。

試料の制作。3ミリ程度の試料を運ぶのは今でも緊張するという。

谷垣さんたちの研究グループは現在、新たな研究に挑戦しています。その一つが、液体やガスの中での試料観察です。

「従来は『真空中』でしか試料を観察できませんでした。ですが、液体やガスといった現実と同じような状況で、実際に起きる化学反応を原子レベルで観察できれば、新たな触媒(化学反応を手助けする物質)の開発などにつなげられる可能性があります」

化学反応は、色々なところで社会を支えています。環境にやさしいと注目される電気自動車(EV)も、電池の中での化学反応により、走るためのエネルギーを得ています。電池の物質を、より良いものに置き換えることができれば、電池の軽量化や寿命伸長が可能になります。また、光と水と二酸化炭素を使って、生活に有用な化学品や水素・酸素などを、植物の光合成のように生み出す「人工光合成」を実現する触媒の発見につなげられるかもしれません。

小さな世界のさらなる解明をめざして

「私たちの成果によって、科学が少しでも前に進んだら、これほどうれしいことはありません」

小さな世界のさらなる解明をめざして、谷垣さんの地道な研究は続きます。

※本記事で紹介した開発の一部は、最先端研究開発支援プログラムにより支援を受けたものです。