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日立の人:「水害のない社会を実現したい」 日立の洪水シミュレーション開発者の挑戦
気候変動の影響により豪雨やそれにともなう大規模な水害が増加しています。河川が氾濫して道路が水につかり交通がマヒしたり、家が浸水して避難を余儀なくされたりするなど、私たちの生活に大きな影響をもたらしています。こうした被害を減らそうと、日立製作所は洪水氾濫のシミュレーションを行うソフトウエア「DioVISTA」を開発しました。
DioVISTAは、堤防の決壊や河川の氾濫による洪水の様子を3次元の地図上で可視化することができ、災害リスクを知ることができるハザードマップの作成のほか、避難計画や建物の浸水防止対策の立案などに活用されています。
2019年には、高速で精度の高いシミュレーションの効果が認められ、発明協会の「発明奨励賞」を受賞しました。開発したのは、日立製作所の山口悟史さん(42)。ソフトウエア開発の経緯や今後の展望などについて山口さんに聞きました。
考えを一変させた台風23号の被害
山口さんが気候変動問題に興味を持ったきっかけは、中学生のときに受けた理科の授業でした。ラジオの「気象通報」を聞いて数字を素早く地図に書き留め、天気図を書き起こす作業に、不思議な達成感や面白さを感じたといいます。
「ラジオを聴きながら天気図を書くというのが、特別な行為というか、専門知識に触れているという感じで、どんどんのめり込んでいきました」
高校の部活動では自然科学部に所属し、朝5時半に流れるラジオを聞いて天気図を書き続ける日々。そこから探究心に駆られ、大学では地球物理学を学び、2003年に日立製作所へ入社します。最初に上司から与えられた研究テーマは「水害シミュレーションソフトの開発」でした。しかし、山口さんは水害シミュレーションの必要性に疑問を感じたといいます。
「当時、水害による被害は減少傾向にありました。なぜいま、わざわざ水害の研究をしなければならないのか。大きな社会問題ではないのではないかと思っていました」
そんな山口さんの考えを一変させる災害が発生します。2004年10月に発生した台風23号です。死者・行方不明者 98人、浸水家屋は5万棟以上に及ぶなど、日本全土に大きな被害をもたらしました。
「道路が冠水し、観光バスの屋根で救助を待つ人たちの映像を見て衝撃を受けました。これが本当に日本で起きたことなのかと。この災害が、『水害の研究が必要なんだ』と考えを改めるきっかけになったのだと思います」
高速での洪水シミュレーションを可能に
こうして本格的に始まった洪水シミュレーションソフトの開発プロジェクト。解析・シミュレーション分野で実績のある日立パワーソリューションズと共同で開発を進めました。開発チームが特に力を入れたのが、シミュレーションの計算速度です。
「河川が氾濫していく様子をシミュレーションする際に、水の広がりに合わせてシミュレーションするエリアを自動的に広げていくようにしました。この計算手法により、シミュレーションするエリアを限定することが可能になり、従来よりも圧倒的に速い速度で計算できるようになりました。この計算手法については高い効果が認められ、2019年には発明協会から『発明奨励賞』をいただきました」
洪水シミュレーションでは、速度だけではなく精度の高さも重要です。浸水予想時刻はいつなのか、どこに水が流れ込んでくるのか、浸水したらどれくらいで元通りになるのか――。
刻々と変化していく状況をスピーディーに表示するのは簡単ではありません。そのため、地形や水量など膨大なデータをかけ合わせて検証を繰り返し、シミュレーション結果が正しいかを調べるため、何度も現場へ足を運びました。
「自転車に乗って現場を走り、身を持って高低差を体感しました。一見平地に見えるけど、シミュレーションで『ここに水がたまる』という事実を知ってから見ると、確かに低く凹んでいたりしました。現実とデータをすり合わせていく作業に苦心しました」
その後も実際に起きた水害とシミュレーション結果との定量的・定性的な比較を行いながら、シミュレーションの精度を向上させていきました。そしてついに、予測と実際の被害の面積を比較して、90パーセント以上を一致させることができるようになったのです。
「水害の研究は継続しなければならない」
こうしてプロジェクトがスタートしてから3年、ついに洪水をシミュレーションするソフトウエアDioVISTAが完成。2006年にリリースされました。当初はメディアに取り上げられるなど注目を集め、災害リスクを知ることができる自治体のハザードマップに活用されたり、保険会社が策定する水害リスクの見積もりに活用されたりするなど、さまざまな分野への導入が進みました。
しかし、2010年ごろから受注が減少傾向に転じ、共同開発していた日立パワーソリューションズからは、「このままでは、研究は継続できない」と伝えられました。しかし、山口さんは諦めません。水害をなくすためにもここで研究を終わらせるわけにはいかない――。そこで山口さんは、研究開発だけはなく、自ら顧客開拓を行うなど、販路の拡大に乗り出しました。
「気候変動への対応は21世紀に生きる人類の課題です。水害の研究は継続しなければならないと強く感じました。今までは研究がメインでしたが、『このソフトは誰がどのように使うのか』『達成すべき目的は何か』『本当にユーザーが求めている機能とは』と突き詰めて考える必要が出てきたのです。試行錯誤するうちに、今までとは違う顧客にアピールしなければならないことに気づきました」
そこで目を付けたのが、水害リスク評価のために氾濫解析を行う建設コンサルタント会社です。山口さんは、セミナーを開催して建設業界に役立つ情報を提供したり、ソフトの機能を紹介したりしながら、新たな顧客との関係性を築いていきました。
さらに、現場で働くエンジニアから話を聞き、顧客の要望に応じてソフトを作り変えることに。顧客の持つデータを入力してカスタマイズできる機能を追加したり、計算速度を上げるためにプログラムを書き換えたりしました。こうした努力の結果、建設コンサルタント会社への導入が広がっていったのです。
「建設コンサルタント会社の方々には非常に満足いただいています。DioVISTAを導入したことにより、シミュレーションの計算速度が上がり、作業効率が飛躍的に改善されたと言っていただきました。顧客の収益にも結びついたということで、私たちも安定的に受注できるようになりました」
こうして販路を広げていったDioVISTAは、水害を減らすためにあらゆるところで使われるようになり、今では新興国の災害対策にも活用されています。
水害で困る人のいない社会をめざして
山口さんはいま、DioVISTAの開発で培った知見を生かして、新たな挑戦をしています。ダム運用の最適化に取り組んでいるのです。ダム運用は水害を減らす上で重要な役割を担います。大雨のピークでダムに水を貯めることができれば、水害を減らすことができるからです。
これまでダムの貯水量や放水量はルールに基づいて決められてきました。しかし、水害を防ぐためには、時々刻々と変わる降雨の予測に基づいて放流することが必要です。それを可能にするのが、山口さんが開発しているダム運用のためのシミュレーションソフトです。ダムの放流計画を短時間で作成することができるようになるといいます。
「ダムに高度な技術を導入することで、水害対策に役立つのではないかと考えました。ソフトウエアを使えば、降雨量が増える前にダムの水位を下げておき、大雨のピークでは水を貯める、といった運用が可能になり、ダムの容量を効率的に管理できるようになります。これにより、水害を減らすことができるのではないかと思います」
山口さんはこれからも、「水害のない社会」の実現をめざして、シミュレーションソフトの開発を続けたいと考えています。
「長期的な目標は、水害で困る人がいない社会の実現です。地球温暖化に伴う気候変動により、大雨の頻度はこれからも増加していくでしょう。抜本的な解決はできないかもしれないけれど、シミュレーションソフトで予測し、水害に備えて対策することはできます。私たちの仕事が安全な社会の実現に貢献できることは大きな喜びです」
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