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社会イノベーション事業の原点を探る「小平浪平翁生誕150年記念展」
2024年は日立製作所の創業者・小平浪平が生まれて150年という節目の年です。それを記念して、「小平浪平翁生誕150年記念展『正直者』小平浪平を探る」が1月15日から、茨城県日立市の日立オリジンパークで開催されています。
今回の企画展では、小平が生涯大切にしてきた「正直者」という言葉を軸に、人物像に迫ります。日立オリジンパークの大金勤館長は「創業者の思いを知ってもらうことで、グローバルに社会イノベーション事業を展開する日立の原点を感じてもらいたい」と話します。
「社会に貢献する」
1874年、栃木県家中村(現在の栃木市)に生まれた小平浪平。学生時代には電気工学の道を選びました。日本が外国の技術に頼っていた時代、「自らの力で電気機械を製作したい」という志を胸に、1910年に日立製作所を立ち上げました。
小平指揮のもと製作された最初の製品は、「5馬力モーター」でした。これは、日本人が設計製造した現存最古のモーターです。設計図面とともに今も大切に保管されており、「五馬力誘導電動機附設計図面五枚」として、2023年6月には重要文化財にも指定されています。
5馬力モーターの製作を機に、「優れた自主技術・製品の開発を通じて社会に貢献する」という企業理念のもと、仲間とともにさまざまな事業に取り組みました。
3部構成で小平浪平の生涯を紹介
今回の企画展では、日立精神の芽生えを伝える「『正直者』小平浪平の原点」、事業を飛躍・拡大させた経営者としての信念を探る「創業社長 小平浪平」、そして、名声や名誉を求めず、実直に生き抜いた人柄に触れる「趣味人 小平浪平」という3つのパートに分けて、その人生をひもときます。
第1展示室では、小平が学生時代から死の直前まで書き続けた日記の一部や、東京帝国大学に在籍しているときに描いた製図が並べられ、電気工学の道を志した青年期の姿がクローズアップされます。
大金館長は「寡黙だったという小平さんですが、几帳面に記された日記などから自分の手で新しいものを作り出したいという熱い思いが伝わってきます」と説明します。
生前を知る孫たちによるエピソード
第1展示室では、小平浪平の孫である小平光宏さんと小平佳子さんにインタビューした映像も投影されています。
光宏さん、佳子さんともに「私利私欲のない質素な人だった」と評します。また、佳子さんは「会社では厳しかったと思いますが、家庭では優しい、楽しい祖父だった」といいます。
孫から見た姿は「ばあばを大切にする、優しいじいじ」。ゴルフでホールインワンしたり、庭の芝刈りをしたり。五右衛門風呂へ一緒に入って、子どもたちが「じいじのお風呂は早い。カラスの行水じゃない」と言うと、「違う。カラスの方がマネをした」と返すなど、ユーモラスな一面も持っていたそうです。
光宏さんと佳子さんが13歳のとき、小平は77歳でこの世を去りました。佳子さんは「亡くなる前日も、痛みに苦しみながら日記を書き続けました」と述べ、浪平の実直な性格を物語るエピソードとして振り返ります。
「正直者」色紙や愛用ゴルフクラブ展示
第2展示室には、草創期の日立製作所を率いた小平浪平の名刺や印鑑、執務机など、仕事に関係する品々が陳列されています。その中に、今回の企画展のキーワード「正直者」と書かれた色紙もあります。
自らはあまり多くを語ることのなかった小平ですが、1947年に公職追放で会社を去ることが決まったとき、当時の高尾直三郎副社長から「何か言葉を」と求められて残した言葉です。
「もともとお母さんから『正直であれ』と言われて育ったそうですが、小平さんはその教えを大切に守ってきたのでしょう」(大金館長)
最後の第3展示室が光を当てるのは、ゴルフや絵画、陶芸など多彩な趣味を楽しんだ小平の素顔。愛用のゴルフクラブや薪割り用のまさかり、学生時代に描いた写実画などを通して、内面の豊さも追求した小平の姿を紹介します。
社会イノベーション事業の原点を感じてほしい
2021年に開館した日立オリジンパークは、主に日立製作所、日立グループの製品を通して、会社の歴史を紹介する施設です。今回は初の企画展ということで、創業者・小平浪平の人物像に焦点を当てました。
「日立の企業理念『優れた自主技術・製品の開発を通じて社会に貢献する』は創業当時から大切に受け継がれています。最近はモノづくりからデジタルへと事業の中心がシフトしていますが、新しいことに挑戦して社会課題を解決しようという姿勢は創業時と変わりません。ここで創業者の思いを知ってもらい、現在グローバルで取り組んでいる社会イノベーション事業の原点を感じてもらえたらと思います」(大金館長)