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AIが提示する「脱炭素」の未来シナリオ 政策立案に活用へ

熱波や豪雨、深刻化する地球温暖化に対し、日本政府は2020年10月、温室効果ガスの排出を実質的にゼロにする「カーボンニュートラル」を2050年までに実現する目標を掲げました。都道府県や市町村でも、2050年二酸化炭素(CO2)の実質排出量ゼロに取り組むことを表明する「ゼロカーボンシティ」宣言が相次いでいます。

しかし、脱炭素の実現に向けて、どのような政策をいつ実行すればいいのか、判断に苦しんでいる自治体の姿もあります。30年後の未来の姿を詳しく描き、そこに至るまでの具体的なロードマップを設計するのは難しいからです。

日立製作所は、そうした自治体を支援するべくAIを活用した「脱炭素シナリオシミュレーター」を開発。自治体がAIの助けを借りて、脱炭素に向けた長期的なロードマップを考える試みが始まっています。

脱炭素シナリオシミュレーターとは?

気温40度超えも観測された2022年の熱い夏。北海道石狩市で、環境課や企業連携推進課、財政課などの若手を中心にした市職員約15人が集まりました。目的は石狩市の未来を議論するワークショップを開くためです。

石狩市は2020年、「ゼロカーボンシティ」を宣言しました。しかし、市の経済的な発展や人々の暮らしやすさを全て犠牲にした、CO2の排出量を削減する政策を立案することはできず、担当者は頭を悩ませていました。脱炭素と経済や福祉の両立が課題となっていたのです。

そこで活躍したのが、日立が開発した「脱炭素シナリオシミュレーター」。AIを活用することで、さまざまな指標をもとに、何万通りもの未来やそこに至るまでのシナリオである「未来シナリオ」を示すことができます。

さらに、シミュレーターは何万通りの中から似通った未来シナリオをまとめて導き出してくれます。担当者は、導き出されたいくつかの未来シナリオから、脱炭素を達成する理想の自治体像を見つけていくのです。

シミュレーターを開発した日立の森本由起子主任研究員は「人間が考えられる未来は2、3個と限界がありますが、シミュレーターが幅広い選択肢を見せてくれるのです」と意義を強調します。

脱炭素シナリオシミュレーターを説明する森本由起子さん
脱炭素シナリオシミュレーターを説明する森本由起子さん(写真:野崎航正)

指標と因果関係を考える

シミュレーターの性能を上げるには、地域に関する具体的な情報を入力する必要があります。指標と因果関係です。

ワークショップに参加した石狩市環境課の時﨑宗男課長が、石狩市の指標と因果関係の例を次にように紹介します。

「冬に大量の雪が降る石狩市では、道路の除雪が欠かせません。道路が使えなければ市民生活が成り立ちません。しかし、除雪用の重機を動かすとCO2を排出してしまいます」

ワークショップでの時﨑宗男さん(マイクを持つ男性)

「雪」の指標は「交通」の指標にマイナスに働くという因果関係があります。重機の燃料となる指標「化石燃料」を使えば「脱炭素」の指標にマイナスの効果をもたらします。また、「化石燃料」の指標に関連して「湾岸エリアの工業団地『石狩湾新港地域』で使われるエネルギーを、化石燃料から再生可能エネルギーに切り替えれば、脱炭素にとってプラスに働きます」とも説明します。

ワークショップでは、「人口」「財政」「都市基盤」「教育」「産業」「健康福祉」「環境」の7分野について、どのような指標があるのかを市職員が考えました。約300の指標が挙げられ、これまでに市で蓄積された交通や財務情報などによって因果関係を整理できました。

「地元愛」といったほかの指標にどう影響するか考えるのが難しい指標もありましたが、過去に市で実施した市民アンケートの結果を基に因果関係を決めていきました。

議論して未来を絞り込む

その後、ワークショップでは、多種多様な指標と因果関係をまとめた「因果関係モデル」を作成し、シミュレーターのAIに読み込ませました。使用するのはシミュレーターが入った一般的なノートパソコン。1、2時間程度で約2万通りの結果が現れます。

シミュレーター画面(2020年から下に伸びる約20の未来シナリオ)

結果をさらにAIが分析し、20ほどの未来シナリオまでまとめてくれます。ワークショップでは、議論しやすいように、似ている未来シナリオをまとめてさらにシナリオA~Hの八つに整理しました。

市職員が、この八つの未来シナリオの優劣をさまざまな角度から議論していきました。

「データサイエンティストになったつもりで、なぜそのような結果になったのかを読み解いてもらいました。想定外の未来シナリオも出てきて、最初は戸惑ったかもしれません」(森本さん)

「税収が上がる方が良いとか、石狩湾新港地域の活性化につながるのが一番良いなど、職員が担当している課によって個性が出ました」(時﨑さん)

石狩市の八つの未来シナリオ

どの未来シナリオを選ぶべきか、それぞれの職員の意見を聞いた上で議論を繰り返しました。脱炭素をめざすといっても、ほかの価値観を無視はできません。人口増加や福祉など社会がより良くなるもの、環境に貢献できるもの、経済が発展するもの。それぞれでバランスが取れているシナリオと少しマイナス点があるものの大きく環境に貢献できるシナリオが評価され、残ったのが「シナリオA」と「シナリオG」でした。

シナリオA……従来の政策の延長線上で街を発展させるシナリオ。脱炭素に取り組みつつ、住民の満足度も高い

シナリオG……地域の企業が努力して脱炭素につなげる。その代わり、人口は減っていくシナリオ

「シナリオAは、全方位型です。石狩湾新港地域の発展を意識しつつ、市内緑化や人口、教育、福祉など、市政を俯瞰(ふかん)したプラスとなった指標が並んでいました。最終的にはバランスの良さを選びました」

時﨑さんはこう振り返ります。

「一方、シナリオGは、マイクログリッド(小規模電力網)や再生可能エネルギーなど、新規事業によって市を発展させます。言い換えれば、石狩湾新港地域の発展に偏った政策です。レバレッジ(てこ)が利くものの、うまくいかなかった場合に市が没落してしまう可能性があります」

最終的に多数決で選ばれたのはシナリオA。地球環境の保護だけでなく、教育や福祉面での市民のウェルビーイングの向上も重視したバランスの良さが支持されました。

AIとの共同作業

ワークショップでは、脱炭素や街づくりのために必要な政策を実施する時期についても、年単位で検討。シミュレーターが未来だけではなく、そこに至る分岐点も示してくれるからできることです。

シナリオAの未来へ進むために、2025年に大きな分岐点があることをシミュレーターは示していました。25年までに何をしなければいけないのか。プラスに振れるのかマイナスに振れるのか。市職員は、各指標の数値の変動を見ながら、具体的な施策に落とし込んでいきました。

シミュレーター画面(各指標のプラス/マイナスを表す)

こうしてシナリオAに沿った施策が並ぶ「2050年までのロードマップ」が石狩市で作られました。時﨑さんは次のように振り返ります。

「AIは人間の頭脳だけでは出てこない未来シナリオを見せてくれます。その可能性を心強く感じました。同時に提示された未来は、指標や因果関係を考えた職員のアイデアや英知が凝縮された結果でもあります。最後に職員みんなで未来シナリオを選び『我々が作ったんだ』という実感もありました」

ロードマップを作る過程で、石狩市は子どもの環境教育をより重視すべきだという意見も出ました。市民の行動を変えていくため、まずは、次の世代に脱炭素の重要性を広く周知する予算を組みました。

誰もが未来シナリオを語れる社会へ

2050年の脱炭素社会の実現に向けた行動は、登山に例えることができます。ゴールである脱炭素社会という山の頂上にたどり着くためのルートは複数あり、その複数の選択肢を見せてくれるのが脱炭素シナリオシミュレーターです。

どういうルートがあるのかを把握することで、具体的な政策に関する議論が深まることをワークショップで目のあたりにした森本さん。今後の展望を次のように語ります。

森本由起子さん
森本由起子さん(写真:野崎航正)

「私たちがコンサルタント的なサポートをしなくても、市民の誰でもシミュレーターを使えるようにしたいと考えています。めざすのは、誰もが未来シナリオを語れる世界です」