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地球環境の限界を示す「プラネタリーバウンダリー」が注目されている理由

2022年8月9日 近藤 雄生

日本ではまだあまり知られていませんが、「プラネタリーバウンダリー」という概念が世界で注目されるようになっています。グローバル企業の多くがこの概念を取り入れ、企業活動の参考にし始めています。

2009年に提唱され、SDGs(持続可能な開発目標)の内容にも影響を与えたというプラネタリーバウンダリーとは、いったいどのようなものなのか。また、企業はこの概念とどう向き合い、どうビジネスとつなげていくべきなのか。

サステイナビリティ学を立ち上げ、持続可能な地球環境のあり方について長く研究してきた環境学者、武内和彦さん(地球環境戦略研究機関理事長)に聞きました。

9つの項目で、地球の健康状態を知る

――日本でSDGsが広く知られるようになった中、世界では「プラネタリーバウンダリー」という言葉が注目されていると聞きます。これはどういう意味の言葉なのでしょうか。

武内和彦さん(以下、武内):プラネタリーバウンダリーは、日本語では「地球の限界」と訳されます。これは、人間が地球上で持続的に生存していくためには、超えてはならない地球環境の境界(=バウンダリー)がある、ということを明確に示した概念です。そしてその境界を、項目ごとに具体的に提示したのです。

人間の場合、身体の状態を知るために健康診断がありますよね。いろんな検査項目があって、項目ごとに「数値がこれ以上になったら危険」という境界と、あなたの現在の数値を教えてくれます。プラネタリーバウンダリーは、その地球版のようなものといえるでしょう。

公益財団法人地球環境戦略研究機関(IGES)の理事長を務める武内和彦さん(写真:野崎航正)

――どのような項目があるのですか。

武内:項目は9つあります。(1)気候変動(2)大気エアロゾルの負荷(3)成層圏オゾンの破壊(4)海洋酸性化(5)淡水利用(6)土地利用変化(7)生物圏の一体性 (8)窒素・リンの生物地球化学的循環(9)新規化学物質で、それぞれの具体的な指標は次のようになっています。

図1:プラネタリーバウンダリーの9項目

指標ごとに、この値を超えて(または下回って)はいけないという限界値(閾値)が決められています。たとえば、私たちにも身近な「気候変動」の項目であれば、大気中の二酸化炭素濃度については、限界値の下限が350ppm、限界値の上限が450ppmに設定されています。つまり、450ppmを超えると、地球の容量の限界を超えてしまっていることになります。

しかし現状すでに、世界の二酸化炭素濃度は、400ppmを超えています。いままさに、世界全体でさらなる増大を食い止めなければならない状態にあることが分かるわけです。

急変する地球環境を知らしめるために

――プラネタリーバウンダリーは、どのような経緯で出てきた考え方なのでしょうか。

武内:ヨハン・ロックストロームというスウェーデン出身の環境学者を中心としたチームが、2009年に初めてこの概念を発表しました。発端となったのは、そのさらに少し前の2000年に、ドイツのパウル・クルッツェンという化学者が、地球科学の国際会議において、「いまはもう完新世の時代ではない。”人新世”だ」と発言したことです。

完新世というのは、1万1700年前から現在に至るまでの時代を表す地質学的な区分です。クルッツェンは、人間によって地球環境が大きく変えられてしまった現状を嘆き、現代はもはや完新世ではなく、”人新世”であると表現したのです。

その後、人新世という言葉は広く知られるようになり、その始まりを1950年ごろだとする説が有力になりました。従来とは比べ物にならないほど、人間の活動によるエネルギー消費や環境汚染が高まった時期だからです。

こうした状況がますます加速していく危険性を、広く知らしめなければならないと考えた世界各地の研究者たちが、プラネタリーバウンダリーという概念を提唱したのです。

インタビューに応じる武内さん(写真:野崎航正)

――何人くらいの研究者がかかわって、どのように作られたのですか。

武内:ヨーロッパやオーストラリアなど、世界各国のさまざまな分野の専門家が30人ほど集まって作ったようです。それを最終的にヨハン・ロックストロームらがまとめた形です。私はサステイナビリティ学という分野に立ち上げから携わってきたこともあり、ヨハン・ロックストロームやウィル・ステファンをはじめ、ここに参加している多数の研究者との交流があります。

彼らからこの概念が提唱された経緯を聞いて、どのような項目を入れるべきか、限界値はどうするかといった点について、非常に丁寧に議論が重ねられて出来上がったものという印象を受けました。中には、まだ限界値が設定されていない項目もあり、分からないことは分からないと正直に書いている。それだけにとても信頼できる概念、研究成果だと思っています。

SDGsにも影響を与えた概念

図2(出典:Will Steffen et al. ”Planetary boundaries: Guiding human development on a changing planet”, 2014)

――プラネタリーバウンダリーの現状を表した図2を見ると、「生物地球化学的循環」と「新規化学物質」、絶滅の速度からみた「生物圏の一体性」は、すでに限界値を超えています。限界を超えてしまうとどうなるのでしょうか。

武内:たとえば、窒素に関しては限界値として、工業由来の窒素の流入量が年間62Tg(テラグラム)と定められていますが、実測値は年間150Tgでした。また、生物種の絶滅率は、100万種あたり年間10種を限界値としていますが、実測値は100~1000種に及んでいます。

このように実測値が限界値を超えて、図の赤い領域に入ると、不可逆的な変化、つまり、もはや元には戻らない変化が地球に生じるとされています。つまり、この図によれば、生物の絶滅速度や窒素の過多は、すでに取返しのつかないレベルにまで達していることになります。

とはいえ、だからもう何をやっても手遅れということではありません。プラネタリーバウンダリーの各項目の内容や限界値は、今後さらに更新されることが期待されています。最新の科学的知見を踏まえつつ、人間活動をバウンダリーの限界内にとどめる努力を続けることが大切であると思います。

――SDGsとプラネタリーバウンダリーには重なる部分があるように感じます。両者はどういう関係にあるのでしょうか。

武内: SDGsの内容が、プラネタリーバウンダリーという概念の影響を受けていることは確実です。SDGsの17個の目標は、大きく3種類にわけることができます。「生物圏に関する目標」、「社会に関する目標」、「経済に関する目標」の3種です。

図3(出典:Stockholm Resilience Centre公式ウェブサイト)

この3種の関係性は、図3にあるように、生物圏に関する目標がまず基盤としてあって、その上に社会、経済に関する目標がある、と考えることができます。一番下の生物圏を基盤として、その容量の範囲内に社会と経済活動が収まるべきであるというプラネタリーバウンダリーの概念が大きな影響を与えているのです。

プラネタリーバウンダリーは、SDGsに比べて言い回しや内容がやや難しいですが、土地利用や水、大気汚染など、私たちの生活とも密接に関連していることばかりです。SDGsとともに、日本でももう少し知られるようになってほしいと願っています。

限界の中でいかに成長するかを考える

——日立は、2022年4月に発表した「2024中期経営計画 」において、プラネタリーバウンダリーを重要な概念の一つとして掲げています。企業は、今後、プラネタリーバウンダリーという考え方をどのように実践へとつなげていくべきだとお考えですか。

武内:世界のトップ企業の多くがプラネタリーバウンダリーを意識し始めています。そのため、日本でも日立グループのような企業がいち早くこの概念を掲げるのは良いことだと思います。今後、実践につなげていくには、「地球環境が持つ容量の範囲で、いかに企業活動が持続的に営めるようにするかを考える」というフィロソフィーを持つことが重要なのではないでしょうか。

その際に強調したいのは、プラネタリーバウンダリーという考え方は、決して「私たちがなし得る成長には限界がある」「地球のためにこれ以上成長すべきではない」ということを言っているのではないということです。あくまでも、地球には限界があることを知った上で、その限界の中でいかに成長していくかを考えよう、という前向きな概念なんです。“成長の限界”ではなく、“限界の中の成長”をめざそう、ということなのです。

日立グループを始めとした企業には、「人間社会が持続的に成長していくために、プラネタリーバウンダリーを意識しながら一緒に努力していきましょう」という気運を作り上げていってもらえたらと思います。

サステイナビリティ学の第一人者として、プラネタリーバウンダリーの普及に尽力する武内さん(写真:野崎航正)