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日立の人:「メダルを持って日本に帰る」 旋盤技術者の「技能五輪」への挑戦

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機械組立てや電気溶接など“ものづくり”に関する技能を持った世界中の若者が、その技術を競う「技能五輪国際大会」。2022年10月に開かれた大会では、CNC旋盤競技に日立の塩澤隼人さん(23)が出場しました。日本代表として3日間にわたって戦った激闘の末、手にした結果はーー。塩澤選手の大会までの軌跡を追います。

特殊な機械で金属加工するCNC旋盤

技能五輪国際大会の開会式(2019年のロシア・カザン大会)

2年に1回開催される技能五輪国際大会。2022年9月には、中国・上海での開催が予定されていましたが、新型コロナウイルス感染拡大による影響で中止に。その代替として9月から11月にかけて、15カ国で分散開催されることになりました。

大会には50を超える国と地域から約1,000人の選手が出場し、62の競技で技術・技能競争が行われました。このうち、CNC旋盤競技はドイツのレオンベルクで開催。日本代表として出場したのが、日立インダストリアルプロダクツの塩澤隼人さんです。

円筒形の金属(左)を削り、機械の部品など(右)を製作する(写真:野崎航正)

塩澤さんが出場したCNC旋盤競技では、特殊な機械を使って金属加工を行います。選手は、設計図に基づいてプログラムを入力し、円筒形の金属とそれを削る刃物を機械に取り付け、課題通りに加工する技術を競います。「鉄の塊が複雑な形に削れて、形ができていくこと自体がすごく楽しい」と塩澤さんは話します。

制限時間内は4時間15分。100分の1ミリ単位で金属を加工するため、高い精度の製品を生み出すためには、最適な工具を選定し、最良のプログラムを構築するという高度な技術とスピードの速さが問われます。

石田指導員のもとで旋盤技術磨く

インタビューに応じる塩澤さん(写真:野崎航正)

そもそも塩澤さんがこの競技に挑むことになったのは、高校3年生のときに経験したある出来事がきっかけでした。技能者を育成する日立工業専修学校に通っていた塩澤さんは、旋盤の高い技能が認められて、技能五輪の国内大会に出場することになったのです。

そこで、大会に向けて練習を積むため、日立の工場内にある技能五輪の“養成所”に通うことになりました。ここで出会ったのが、指導員の石田秋峰さん(31)です。これが、このあと5年間続く師弟関係の始まりでした。

「訓練を開始するとすぐに、持ち前の器用さと努力で乗り越える力があることが分かり、“平凡”な選手ではないと感じました」(石田さん)

高校卒業後は、日立に入社。それ以来、石田さんのもとで旋盤技術を磨き、技能五輪の国際大会で「メダルを獲得すること」を目標として、訓練をすることになりました。企業に所属するアスリートと同様に、大会に向けた技能向上が仕事になったのです。

日立にとって技能五輪への参加は、優れた技能者を育成することに直結し、職場全体の技能向上と伝承につながることから、塩澤さんの訓練にも十分なバックアップ体制が整えられました。

起きてから寝るまで“旋盤漬け”

特殊な機械を操作して金属を加工するCNC旋盤(写真:野崎航正)

そんな訓練の1日は、午前5時の起床から始まります。

出社は6時半。ストレッチで体をほぐし、機械の点検・準備をして、7時45分に訓練開始です。国際大会前は本番に合わせ、9時から課題の製作に入ります。途中昼食をはさみ、大会の競技時間と合わせて計4時間15分で課題を仕上げます。

制限時間になると、製作を切り上げ、その日の結果やミスをもう一人の指導員、阿部晴希さん(31)に報告します。阿部さんは、2011年のロンドン大会のCNC旋盤部門で優勝した金メダリストです。

塩澤さんを指導する阿部晴希さん

塩澤さんの報告に対して、阿部さんはまず “禅問答”のようなアドバイスをします。それによって塩澤さんは自然と考える力が養われていったと話します。

「阿部さんのアドバイスは直接、答えを言うのではなく、答えを自分で考えさせるためのヒントを言ってくれるんです」

CNC旋盤の競技では、選手たちは最後までひとりで考え、ひとりで判断していかなければなりません。4時間15分の“自分との闘い”。それを制するために必要なのは、最後まであきらめず、難局を打開できる柔軟な考え方を身に付けること。阿部さんは、塩澤さんがその力を身に着けることができるよう促していきました。

「訓練で失敗したことを報告してもらって、それに対して足りないところを考えてもらったり、ヒントを出したりして、自分で答えを出せるように指導しました。4時間15分という競技時間の中では、誰にも頼ることができません。だからこそ自ら問題を発見し、解決する力を身に着ける必要があるのです」(阿部さん)

辛い時に支えとなった指導員の言葉

ミスしたことを中心に記録してきたという「旋盤日誌」(写真:野崎航正)

後片付けをしてトレーニングが終わるのは20時ごろ。一人住まいのアパートに帰り、食事をとり風呂に入った後は、その日の訓練を振り返る「旋盤日誌」をつけます。訓練での反省や指導員のアドバイスなどを図解入りで書き込んだノートは、5年間で36冊にもなりました。

1日の終わり。23時に寝るまでに時間があれば、パソコンでプログラムを作成する日もあります。まさに、起きてから寝るまで、「旋盤漬け」の日々です。

「会社が終わってからも訓練のことを考えたり、実際に家でも訓練をしたり。(ほとんどの時間を競技に)ささげてきたのではないかと思います」(塩澤さん)

そんな修行の毎日を「きつい日々でした」と塩澤さんは笑顔で振り返りますが、過去には競技をやめたいと打ち明けたことがあったといいます。

「教わっているのにできないことが辛くなってしまい、指導員に『やめさせてください』って自分から言いました」

そんな塩澤さんを思いとどまらせたのは、指導員の石田さんの言葉でした。「やってできない選手には言わない。お前ならやればできると思っている。これからも二人三脚でやっていこう」。こう伝えられた塩澤さんはやる気を取り戻しました。塩澤さんはこの言葉をメモに残して、辛い時には読み返し、自らを鼓舞するようになったといいます。

国際大会に向けた“3人4脚”の歩み

5年間塩澤さんを指導してきた石田秋峰さん(写真:野崎航正)

石田さんは、塩澤さんの指導についてこう話します。

「塩澤選手自身、ずっと『技能五輪で優勝したい』と話していました。口だけの選手ではなく、必ずできる選手だと思ったので、ときには指導が厳しくなることもありましたが、塩澤選手はついてきてくれました」

塩澤さんは、石田さんから旋盤競技の頂点を極めることの厳しさを教わり、阿部さんから難しい課題を乗り越えるための柔軟な考え方を学びました。その成果が、実を結び始めます。

2018年の全国大会では初出場ながら2位に。翌年の全国大会ではミスが重なり、7位に落ちましたが、2020年に開催された国際大会代表選考会では見事優勝して、日本代表の座を射止めました。

まさに2人の指導員による3人4脚の歩みの成果でした。

課題を完成させたのは塩澤選手のみ

競技に臨む塩澤さん

こうして挑んだ技能五輪国際大会。競技は3日間にわたります。1日1つの課題をこなし、 3つの課題の総合点でメダルを競います。

「ライバルはタイとベトナムです。大会前に両国の代表選手たちと練習競技会を行いましたが、一度も勝てていません。そして、優勝候補は間違いなく中国だと思います」(阿部さん)

「塩澤が入社した時から指導を担当してきたということもあって、やっぱり思うことはありますね。結果を出して欲しいというか、このために頑張って訓練してきたので、最後はやっぱりいい結果で終わって欲しいなって」(石田さん)

指導員の心配とは裏腹に、手際よく作業を進める塩澤さん。3日間を通して、出題された課題の製作を全て時間内に仕上げたのは、参加者の中で塩澤さんただ一人という好調ぶりでした。

「3日間通して、できはよかったです。普段の訓練の1.3~1.4倍の成績にはなったと思います。しかし、時間内に仕上げたとはいえ、ミスもありました。2日目は刃物を破損させてしまいました。正直、これではメダルに届かないな、と。発表の日は緊張のあまり会場のトイレで嘔吐してしまいました」(塩澤さん)

念願のメダル獲得で感涙

銀メダルを獲得し、表彰される塩澤さん

3日間にわたる競技が無事終了し、その2日後に行われた表彰式。塩澤さんはこれまでの厳しい訓練の日々を脳裏に浮かべながら、結果が発表されるスクリーンを他の競技者たちとともに祈るように見つめていました。

いよいよ発表のとき。3位の銅メダルは「該当者なし」と発表されました。その直後、競技者たちが固唾をのんで見つめるスクリーンに、「Silver;Hayato Shiozawa」と名前が表示されました。銀メダルに輝いた瞬間のことを、塩澤さんは鮮明に覚えています。

「思わず立ち上がってガッツポーズを取り、涙が止まりませんでした。つらい訓練の日々でしたが、メダルが取れてうれしかったです」

指導員の2人もこれまでの指導を思い返し、感慨深げに振り返ります。

「本当に良かったです。中国にも引けを取らないスピードと内容でした。訓練以上のものができたのかなと。すばらしい内容と結果だったと思います」(阿部さん)

「塩澤という人間性というか人格が、すごく磨かれたのだと思います。この5年間、(指導員として)とてもいい経験をさせてもらいました」(石田さん)

塩澤さんが獲得した銀メダル(写真:野崎航正)

競技者としての集大成となった今回の技能五輪国際大会。塩澤さんは、この大会を最後に、第一線から退きます。

「今後は工場の最前線の現場に入り、ミスなく高い精度の製品を作り続ける社員になるのが第一の目標です。そして、いずれは指導者になって、僕が果たせなかった国際大会での優勝を手にできる選手を育てたいと思っています」(塩澤さん)

石田さんと阿部さんから「優れた技能者を育成する」というバトンを渡された塩澤さん。新たな目標に向かって、ゆっくりと歩み始めます。