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日立の人:人生を変えたランニングとの出会い 聴覚障がいと生きるランナーの挑戦

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日立製作所のアプリケーションサービス事業部に勤める山中孝一郎さん(40)は、生まれた時から耳がほとんど聞こえません。そんなハンディを乗り越えて、聴覚障がい者のオリンピックと呼ばれる「デフリンピック」のマラソンで銅メダルを獲得するなど、国内外のマラソン大会で活躍しています。山中さんをマラソンへと駆り立てるものは何か――。その源泉に迫ります。

「自分を追い込む精神力がすごい」

練習の合間に仲間と談笑する山中さん(写真:野崎航正)

2021年10月の土曜日、秋晴れがすがすがしい都内の駒沢オリンピック公園で、多くのランナーたちがジョギングを楽しんでいました。その中に30キロランの練習会に参加して先頭を走る山中さんの姿も見えます。

みんなが走り終えた後、山中さんはさらに公園内を3周(約6キロ)、それまでの1キロ3分45秒のペースから15秒ほど上げてラストスパートをかけました。

9年前から切磋琢磨(せっさたくま)しながら記録を伸ばし合ってきたというランナー仲間の佐々木正志さん(44)は、山中さんの「自分を追い込む精神力がすごい」と舌を巻きます。

「出場するマラソン大会ごとに目標タイムを決め、それに向けて緻密な練習計画を立て着実にこなす。山中さんは練習会でゴール後に倒れ込むことがあるのですが、練習で倒れるほど走り切る人を私は見たことがありません」(佐々木さん)

先天性の難聴でろう学校に通う

左耳の補聴器と相手の口の動きで会話を理解する(写真:野崎航正)

山中さんの耳に障がいがあると分かったのは、1歳のころ。保育園の先生の指摘で検査したところ、先天性の感音性難聴、レベルは重度と診断されました。感音性難聴とは、内耳やそれより奥の神経部分の機能に問題があり、音が聞き取りづらくなる障がいです。

その後、両親が探してきた日本聾話学校(東京都町田市)に2歳から入学。手話を使わず、聴いて話しができることを教育方針とする私立のろう学校で、中学まで学びました。

姉の順子さんはろう学校で教員を務めている

山中さんと同居し、現在は日本聾話学校の教員をしている姉の順子さんは、今は亡き両親の子育てについて、こう振り返ります。

「子どもを信じて待つという教育観でした。母は大学で発達心理学を学んだので、『子どもに無理やり押し付けても仕方ない。やりたいことをやらせてあげるほうがいい』と話していました」

その影響もあって、山中さんは好きなゲームやブロックの遊びに興じるあまり、夏休みの宿題を一切やらないこともあったそうです。その一方で、「目標に向かって取り組むと強い」と順子さんは話します。

「毎日ファミコンをしていた弟が、普通高校を受験すると決めたら、『今日からもうやらない』とゲームを全て片付けて勉強を始めました」

その努力が実って、志望していた都立の普通高校に合格し、新しい環境下で充実した学生生活を送りました。

「なんで俺は聞こえないんだろう」

米国の選手と交換したお気に入りのジャージで取材に応じた(写真:野崎航正)

「聴覚障がいはコミュニケーションの障がい」という順子さんは、家族の中でも意思疎通がうまくいかないことがあったと打ち明けます。

「仕事で家にいないことが多かった父は、弟の表現の理解が難しかったり、発音が分からなかったりしたことがありました。そこで、私が通訳のように『パパ、こう言っているよ』と伝えました。弟は、耳の聞こえる人たちほどうまく意志を伝えられなくて、心の中にイライラを溜め込んでいたのではないでしょうか」

山中さんが初めて補聴器をかけたのは、2歳の頃でした。音が少し聞こえるようになり、さらに学校に通って口の動きを読み取る読唇術を身につけてからは、対面して話す人の言葉が分かるようになったといいます。

思春期の頃は悩んだ時期もあった(写真:野崎航正)

それでも、口をあまり動かさない人との会話や、顔が見えない電話は困難です。店や駅のスピーカーから流れるさまざまなアナウンスも、全く分からないそうです。

「電車が急に止まって車内放送が流れても、何を言っているのか分かりません。今はスマホがあるので、『何が起きたのでしょうか?』と打ち込んだスマホ画面を周りの人に見せ、状況を教えてもらいます」(山中さん)

山中さんは今でこそ「情報がすぐには分からない。耳が聞こえないということはそういうこと」と割り切りますが、思春期の頃は、悩んだ時期もあったと順子さんは明かします。

「弟は母に『なんで俺は聞こえないんだろうな』とこぼしていたそうです。しかし、それすらも受け入れていくように見えました。騒いでも治るものじゃないと分かっていたんだと思います」

リモートワークで新たな悩みも

リモートワークで業務をこなす山中さん

大学を卒業した2004年、山中さんは「聴覚障がい者でもシステム開発を通じて社会課題に貢献できる」として、日立製作所に入社しました。

今の仕事は、日立のシステム開発に関するノウハウをまとめたシステム開発方法論「HIPACE(ハイペース)」の運営・管理です。これは日立グループのエンジニア向けのサービスで、山中さんはマニュアルのメンテナンスをしたり、使い方の相談を受けたりしています。山中さんは、仕事のやりがいについてこう話します。

「どんな難しい問い合わせが来ても、チームメートに相談し、知恵を借りながら自分で返答を考え、応えられることが楽しいです」

そんな山中さんの仕事ぶりについて、同僚の杉原優子さんは「これとこれをこの順番でお願いしますと依頼すると、すごく丁寧に対応してくれます。そんな真面目な印象がありますね」と評します。

コロナ禍になり、新たな戸惑いも出てきた(写真:野崎航正)

ただ、新型コロナウイルスの影響でテレワークになり、山中さんには新たな戸惑いも出てきたそうです。

「会って話せば15分ぐらいで解決できることでも、電話ができないので、チャットとメールを何度もやりとりして時間がかかります」

それでも、オンライン会議ツールの自動文字起こし機能など、最新のデジタル技術を活用しながら、課題に対処しています。

人生を変えたランニング

ランニングを始めて山中さんの人生は大きく変わった(写真:野崎航正)

そんな山中さんの人生を大きく変えたのがランニングでした。

山中さんが長距離走に目覚めたのは中学3年生のとき。東京都内の全てのろう学校が一堂に会して行われた陸上大会で1500メートルに出場、5分を切る好タイムで優勝しました。これがきっかけとなって高校では陸上競技部に入部。3年生の時は地区大会で入賞しましたが、都大会では「まったく歯が立たなかった」とレベルの差を痛感したそうです。

大学ではトライアスロンのサークルに入りましたが、社会人になって、走ることからは遠ざかっていました。ランニングを再開したのは、入社3年目のとき。「運動不足を感じ、健康的なことをしたくなった」と市民ランナーが集まるランニングクラブに入りました。

当初はチームメートについていくのがやっとでしたが、同じぐらいの速さで走る人と競ううちに、みるみる速くなっていきました。テレワークになった現在、仕事が終わった後は、ほぼ毎日、自宅周辺を10キロほど走っています。

コースを間違えても「心が折れたら負けだ」

2017年サムスン大会でマラソンを走る山中さん(写真:一般財団法人全日本ろうあ連盟)

ランニング再開からわずか3年、フルマラソンで2時間45分を切るようになり、2008年には限られた選手のみが参加資格を持つ福岡国際マラソンに出場。2時間28分0秒という好記録を出したため、日本デフ陸上競技協会の関係者から「日本代表としてデフリンピックに出てみないか」と声を掛けられました。

デフリンピックとは、4年に1度開催される聴覚障がい者のための国際的なスポーツ大会のこと。2009年、山中さんはデフリンピック台北大会に派遣されて、マラソンで4位に入賞。さらに4年後のソフィア大会では3位に入り、銅メダルを獲得しました。しかしそのレースは思わぬ展開でした。

「前を走る選手がコースを間違えたのにつられて、私もコースを間違えてしまったんです。まだ走路が半分残っていたので『心が折れたら負けだ』と思い、諦めずに走りました」

メダルにもまして貴重だったのが、世界の聴覚障がい者のランナーと知り合えたこと。ピンバッジやジャージを交換し、今でもメールで連絡を取り合っているそうです。

「デフリンピックで、金か銀を狙いたい」

これからも山中さんの挑戦は続く(写真:野崎航正)

次回のデフリンピックは2022年5月、ブラジルで開催される予定です。山中さんは、「出られるのであればもっと上をめざして、金か銀を狙いたい」と闘志をにじませます。

山中さんの最高タイムは2020年3月のびわ湖毎日マラソンで出した2時間25分40秒。昨年12月に出場した防府マラソンでは、目標の2時間30分を大幅に切る2時間26分32秒でゴールしました。そんな山中さんにメダル獲得への期待が高まっています。

職場の上司で、山中さんの入社以来の付き合いという向坂太郎さんは、次のように話します。

「生涯現役で走ってほしい。聴覚障がいを抱えながらもすごいランナーが日立のIT部門で仕事していると知られることは、当社にとっても誇りであり、多くの人を勇気づけると思います」

年を重ねるごとに進化する山中さん。「トップを目指す人と練習をすることもある。お互い刺激し合いながら伸びていければ」と、さらなる高みをめざして、これからも走り続けます。