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「工場での息抜きが球技に」日立発祥のパンポンとは?ミスターパンポンが解説
手軽に楽しめるスポーツとして、茨城県日立市を中心に親しまれているパンポン。テニスと卓球をミックスしたような競技で、その起源は日立の工場にあります。
誕生から100年以上が経った今なお、日立の工場ではパンポンが親しまれています。長く愛され続ける秘密はどこにあるのでしょうか。「パンポンを365日、毎日考えています」と話す、日立事業所(茨城県日立市)の加藤康広さんに、その魅力と歴史を聞きました。
卓球とテニスを混ぜたようなスポーツ
午後0時15分、45分間の昼休みが始まる日立事業所。しばらくすると、昼食を済ませた従業員たちが続々と外に集まり、白線で引かれたコートの上で、まな板のような木の板を使い小さなボールを打ち合います。
これが、卓球とテニスを融合させたような球技の「パンポン」です。日立の工場では、パンポンを楽しむ従業員の姿が、おなじみの光景になっています。
「昼休みになると、昼ご飯を5分で食べて、パンポンに興じるのが私の日課です」と話すのは、32年のプレー歴があるパンポン界のレジェンドで、「ミスターパンポン」の異名を持つ日立事業所の加藤康広さんです。
パンポンのルールは、卓球やテニスと似ています。横2.5メートル、縦7メートルのコートを、高さ40センチメートルの平均台に似た木製の「ネット」で2つに分けて、木製ラケットで軟式テニスボールを打ち合います。3ゲームマッチで、1ゲームは4ポイント先取した方が勝ちとなります。
ラケットは、日立市内の一部スポーツ用品店で購入が可能なほか、木材をホームセンターなどで購入し自分で作る人も多くいます。加藤さんは、「同じラケットを15年以上使っているので、愛着が湧いて替えられないです。多くの従業員が、同じラケットを長く使い続けますね」といいます。
工場の遊びがスポーツに
今では小学校のクラブ活動に取り入れられるなど、日立市内で広く親しまれているパンポンですが、その発祥は大正時代にさかのぼります。パンポンの起源について、加藤さんは次のように説明します。
「1921年頃、日立製作所の工場では休憩中の息抜きとしてキャッチボールがはやっていましたが、窓ガラスを割ることが多く、工場内ではキャッチボールが禁止となりました。そこで、作業員が道路に線を引き、みかんの空き箱で作った木の板を使いゴムボールを打ち合ったのが、パンポンの始まりです」
「パンと打って、ポンと弾む」ことから「パンポン」と呼ばれたのは1929年で、名付け親は、当時の工場長だった高尾直三郎さんです。高尾さんは当時、「オリンピックの競技になるまでパンポンを大きくしたい」と話していたといいます。
この頃に正式なルールが設定されたパンポン。今日に至るまで、日立の各事業所だけでなく、地元自治体でも大会が行われてきました。
茨城地区にある日立の事業所対抗の「高尾杯」は1965年に第1回が行われ、2018年度には63回を迎えました。また、腕自慢が日立全社から集う「日立グループパンポン大会」は1963年に第1回が行われ、2019年11月には第55回大会が開催されました。
このほか、日立市では、「日立市パンポン大会」が毎年開催されています。この大会の参加資格は、「日立市内外を問わず、パンポンを愛好する者」となっていて、各地から多くの参加者が集まるということです。
社内コミュニケーションを活性化
「自分で言うのも大変恥ずかしいですが、パンポンと名の付く大会は全て優勝しています」と話す加藤さん。パンポンの魅力や愛される理由について問われると、次のように語ります。
「純粋に、見ていて楽しいし、やっても楽しいです。試合もあっという間に終わるので、1ポイントを争う試合の緊張感は、ほかのスポーツにも負けません。やはり、誰でも簡単に楽しくプレーできるのが、多くの人たちに長く愛される理由じゃないでしょうか」
また、職場でパンポンを行うと、社内コミュニケーションの活性化にも繋がるといいます。
「パンポンを通じて、多くの人たちと知り合うことができたので、仕事を効率的に進めやすい職場環境が作れていると感じます。また、チーム対抗戦など、職位に関係なく従業員同士の会話が自然と多く生まれやすく、チームビルディングにも役立っていると思いますね」(加藤さん)
老若男女問わず、多くの人々に楽しまれているパンポン。加藤さんは、日々の業務のかたわら、パンポンの普及活動に力を入れています。
「パンポンは、誰もがワイワイ楽しくできるスポーツです。そんなスポーツだからこそ、できるだけ多くの人に触れてもらいたく、長年にわたり、日立市内の小学校などでパンポンを教えてきました。100年以上続くパンポンが今後も末永く、みんなに愛されるスポーツであればいいなと思います」