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隕石、ペンギン、停電、それぞれの南極の日々

2024年9月3日 羅 欣、村田 有沙
オーロラと南極の昭和基地(提供:国立極地研究所 撮影:JARE63 櫻庭健吾)

日本は南極に観測隊を派遣、昭和基地など複数の基地を建設して、気象情報や氷に埋まる貴重なデータを調査し、地球環境の保全に役立てています。前編「日立と南極~地球の最果てで発電を60年間支え~」では、日立の社員が観測隊に参加するきっかけや、観測隊の黎明期から発電を支えてきた歴史を紹介しました。後編の本記事では、南極で思わぬ任務を担った、日立の社員のさまざまな苦労、ペンギンなどの動物との触れ合い、驚きの成果を紹介していきます。

氷床に埋まる基地と隕石拾い

長い南極派遣の歴史で、現在では閉鎖された基地で過ごした社員もいました。日立製作所の大塚浩士さん(60)は、第31次南極地域観測隊(1989年)に参加し、あすか基地で越冬しました。あすか基地は、昭和基地から西に約670km離れた、南極の氷床上に建てられた基地で、1986~1992年の間、少人数の隊員により運営されました。大塚さんは、設置されていた発電機のメンテナンスのために、あすか基地に向かいましたが、「基地から発する熱と積雪で基地はどんどん氷床に埋まっていっていました。(建設から4年目のあすか基地へ)着いたら基地に入るためにまずは雪を掘る作業から始めました」と驚いたといいます。

雪に埋もれたあすか基地と大塚さん(提供:国立極地研究所)

あすか基地滞在中に印象に残っていたのは、隕石探索旅行だったと言います。スノーモービルで駆け出して、目視で隕石を探しに行くのです。降雪が何年も積み重なってできる氷床の上には本来、石が落ちていることはありえません。しかし、空から降ってくるものは違います。猛烈な風などによって氷が液体を経ずに気体へと昇華して、過去に降ってきた隕石が氷床の中から姿を現すこともあります。氷床上に石があるならば、隕石の可能性が高いのです。大塚さんは極寒の中、1日数時間、走り回って「たくさん隕石を見つけた」と誇らしげに語ります。これら南極で集められた隕石が、宇宙の解明にも役立っています。

南極で見つけた隕石(提供:国立極地研究所)

慣れない通信インフラの整備

普段の業務と違う専門性を要求され、苦労した日立の社員もいます。機器や設備のメンテナンスの役割を担うチームの仕事は発電機だけが対象ではありません。それぞれの専門はあるものの、さまざまな機器の設置やメンテナンスにチャレンジすることになります。

第45次隊(2003年)で派遣された日立製作所の井上高志さん(51)もその一人です。ネットワーク関係の設備の品質保証関係の業務を担当していたこともあり、昭和基地での衛星通信のインフラ整備の補助を担当することになりました。普段担当する発電設備の通信装置とは違い、配線や設置に苦労しましたが、昭和基地の通信環境が大きく向上しました。

専門外の仕事では、ペンギンの生態調査(個体数調査と営巣数調査)も体験しました。井上さんは「動物園で見る分には楽しいが、何百羽にも囲まれると少し怖かった。またとない経験だった」と話します。

ペンギンと井上さん(提供:国立極地研究所)

3時間42分の停電

南極にある発電機のメンテナンスですので、全てが順調にいくわけではありません。第49次隊(2007年)の日立ハイテクの軍司将男さん(48)は、昭和基地を離れた最中に停電が発生しました。電気は、隊員生活にも、観測機器にも使用する大事なエネルギー。停電は一大事です。

軍司さんが昭和基地に派遣された当時の発電機はさらに容量が増え、300kVA発電機が2基設置され、常に1基が稼働していました。停電が起きたのは、くしくも軍司さんが観測旅行のために基地を離れた3日後でした。衛星電話で、基地から切迫した状況が伝えられます。冷却装置の清掃で閉めたバルブが開かなくなり、冷却水が流れず発電機の温度が上昇。オーバーヒートを防止するため、稼働していた発電機は自動で非常停止しました。再起動を試みますが、なぜかできません。発電機を起動するにも電気を使います。再起動を既に3回試しており、蓄電池の容量からチャレンジできるのは残り1回あるかどうかでした。

警報音が衛星電話越しに鳴り響くのを聞きながら、軍司さんは基地にいる隊員から状況を確認します。発電機周りの図面や配線位置が頭の中を駆け巡ります、もしかして、稼働していないもう1基の発電機が影響していないか。基地の隊員に対処方法を教えて、衛星電話を切りました。不安な気持ちもありましたが、後は基地の隊員を信じるしかありません。2時間後に基地から「無事に復旧した」との知らせを受けて、胸をなで下ろしました。停電時間は最長記録の3時間42分。それだけ停電すると基地は凍結していないか、基地の隊員たちは無事か。心配して戻った軍司さんを、大きな被害もなく、復旧作業に当たっていた隊員たちが温かく迎えてくれました。

観測旅行ではコウテイペンギンに遭遇することも(提供:国立極地研究所)

身長にも迫るライギョダマシ

第57次隊(2015年)に参加した、日立製作所の久保田寛丈さん(39)は、当時頻発していた小規模な停電の調査を任されました。調査をしてみると、主に二つの原因を突き止めました。一つはトランシーバーによる電波の影響で、発電機周りでのトランシーバーの使用を禁止しました。もう一つが、積雪によるケーブルの断線です。そのため、どこにケーブルがあるか把握するため、仲間と目印を付けながら、昭和基地周辺の写真を撮り回りました。雪の積もった際には、写真を参考にしながら、電気を送るケーブル付近を優先して除雪し、ケーブルのメンテナンスを実施しました。久保田さんの発見と対策によって停電の回数は減っていきました。

昭和基地の全景(提供:国立極地研究所 撮影:JARE63 櫻庭健吾)

設備メンテナンスの任務で成果を上げた久保田さん、実は南極に関わる意外な記録を保持しています。南極に住む生き物の生態調査で、釣り上げたのは自身の身長にも迫る、約157cmの大型魚ライギョダマシです。日本の南極観測隊による生態調査の最大のサイズでもあり、葛西臨海水族園に標本として提供されました。

釣り上げたライギョダマシと久保田さん(提供:国立極地研究所)

次の世代へ

これまで振り返ってきたように、南極では思ってみないことを経験します。しかし、それぞれの経験や奮闘が、自然現象の解明に少しずつ貢献しています。日立は60年間、南極でのどんな活動にも必要になる電気の供給をサポートし続けており、国立極地研究所の南極観測パートナー企業に選ばれました。発電機の入れ替えはありましたが、各設備や機器に電気を送る現在の制御盤も設置してから約30年が経過しました。現在、国立極地研究所に出向し、第65次隊(2023年)として派遣されている、日立製作所の田端志野さん(31)も発電機や制御盤のメンテナンスや基地全体の電力消費の監視に忙しく働いています。

「30年経っても観測隊を支えている制御盤に感動します。私の代でも安定して事故なく電気を送り続けられるよう責務を果たし、次の世代に引き継いでいきたい」と胸を張ります。

昭和基地の日立の社旗には派遣された歴代社員の名前が記載されている。左は田端さん
(提供:国立極地研究所 撮影:JARE64白野亜実)