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Hitachi

社会イノベーション

Novel Prize winner x Hitachi Special Talk vol.1
行動経済学が
社会を再定義する
ノーベル賞受賞者に聞く。
人を動かす言葉の力

行動経済学のアプローチと最先端の技術を組み合わせれば、社会の課題を解決できる――。2018年10月に開催されたHitachi Social Innovation Forum 2018 TOKYOでの来日講演を前に、ノーベル経済学賞を受賞したシカゴ大学のリチャード・セイラー教授に、日立総合計画研究所の白井均社長が少子高齢化やエネルギー問題、SDGsなど様々な課題へ向き合うために行動経済学の考え方をどう活かすべきかを聞いた。(全2回)

人間の癖を分析すれば政策が変わる

白井 ご著書の『行動経済学の逆襲』で行動科学の可能性について書かれているのを拝読して、将来、政府の役割が大きく変わる可能性があるのではないかと感じました。

すでにイギリスでは、行動洞察チーム(BIT: Behavioural Insights Team)が人間の行動を分析し政策をデザインし直すという動きが始まっています。つまり、人間の行動を計測し、分析して活かすことができるということですね。

セイラー まさにその通りです。

白井 今後政府は、政策を採用する前に社会実験を実施することで、政策の選択肢を国民に提示するようなアプローチを取ることができるでしょうか。そうなれば、政府の役割や機能も変わるのでしょうか。

納税を促す魔法の言葉

セイラー 政府へのアドバイスは、長い間経済学者が独占してきました。アメリカ政府は、経済学者のみのアドバイスを受けた法律の専門家が運営してきたようなものです。しかし、他の社会科学分野の専門家の知見を取り入れずに、経済学だけに頼るのはあまり賢くないでしょう。

われわれはかつてイギリスで、期限通りに国民に納税させるにはどうすればよいかといった非常に実践的な調査を行いました。催促状に、「あなたは、納税を延滞している数少ない一人です」というたった一文を加えるだけで、これが魔法のように効くのです。

リチャード・セイラー ノーベル経済学賞受賞、シカゴ大学ブース・スクール・オブ・ビジネス教授
行動経済学の発展に寄与したことにより、2017年ノーベル経済学賞を受賞。経済学と心理学の間のギャップに横たわる行動経済学と金融学、意思決定の心理学の研究を行っている。世界的ベストセラー『実践行動経済学』の共著者。その他の代表的著書に『行動経済学の逆襲』などがある。コーネル大学、MITスローン・スクール・オブ・マネジメント、スタンフォード大学行動科学研究センターなどで教鞭をとった。1995年から現職。アメリカ芸術科学アカデミーメンバー。アメリカ財政協会および計量経済学会フェロー。2015年にはアメリカ経済学会会長を務めた。

白井 たった一文とは、面白いですね。従来の経済学の視点からは出てこない発想ですね。

セイラー 行動科学の心理学的アプローチは、基本的に政策のほとんど全ての重要局面に応用できます。

トランプ大統領と北朝鮮の金正恩最高指導者の会談でも、自分と対極にある人にどうアプローチすべきかについて、経済学者からではなく、心理学者の意見も参考にできたかもしれません。

この場合、会談が世間からどう見られて評価されるかということが大切なポイントの一つ。経済学者よりも、むしろ心理学者や結婚カウンセラーの視点の方が有効だったかもしれません。

価格だけでは気候変動に対処できない

セイラー もう一つの例は、気候変動です。シカゴの気候も急に寒くなったり暑くなったりしています。気候変動は、今や誰もが認めるところでしょう。これに対処するには、人の行動を変える以外にありません。

何とかして、化石燃料の消費を減らさなければならない。では、どんな方法をとればよいのか。経済学者が出した回答はたった一つ、価格を上げることだけです。炭素に課税し、ガソリンの値段を上げるということです。

しかし、他にもできることは山ほどあります。例えば、近所に比べて自分の家庭がどれだけたくさんの電気を消費しているかを見せるだけで、2%ほど電力消費が減るという調査結果があります。小さな数字のようですが、気候変動に対処するためにはこの2%の積み重ねこそ重要です。

白井 日立も資源の有効活用と環境負荷の低減を高いレベルで両立させる発電システムの開発や、自然エネルギーを活用した発電システムの安定化など、気候変動に配慮した様々な取り組みを行っています。まさに行動変化と技術の組み合わせが有効な課題と言えますね。

白井均 (しらい ひとし) 日立総合計画研究所 社長
1979年日立製作所入社。1994年日立総合計画研究所主任研究員。1998年に同研究所主管研究員。2000年に日立製作所公共システムグループ電子政府プロジェクト推進統括センタ兼任、同年7月には『電子行政(デジタル・ガバメント) 』を出版し、海外の先進事例を紹介しながら日本のあるべき電子政府の姿を提示した。2013年より日立総合計画研究所社長。同研究所発行の機関紙『日立総研』において国内外の多くの分野の専門家との対談を行っている。

セイラー これらはほんの一例です。公共政策や社会課題の対策で、行動科学が活かせない領域はないと言えるほどです。

企業の行動も変えられるか

白井 環境問題について触れられましたが、国連が提唱する「持続可能な開発目標(SDGs)」の達成には、さまざまなグローバル課題解決への取り組みが必要です。

利潤を追求することを基本とする企業にSDGsへの貢献を促すために、複数の投資機関が温室効果ガスの排出量削減などの具体的な行動とその情報公開を求めるようになっています。企業へのこうしたアプローチは効果的だと思いますか。

セイラー そう思います。企業に温室効果ガス排出量の削減と情報公開を義務付けることに効果があるのは、2つの理由があります。

ひとつは恥をかきたくないという意識、もうひとつは消費者が社会的責任を持つ企業の製品を選ぶようになることです。私は情報公開で透明性が高まれば人々や企業の行動が変わると信じているので、排出量を公開する規制には賛成です。

10万円1回と2000円50回の減税効果の差

白井 経済政策の可能性についてご質問します。『行動経済学の逆襲』では、「行動経済学的な分析が強く求められるマクロ経済政策」の事例として、米国における減税による経済刺激策について書かれています。

日本では、異なる課題に直面してきました。日本は、1995年、2014年に消費税率を段階的に引き上げましたが、引き上げ前には駆け込み需要が発生し、その結果引き上げ後には大きな反動減が発生して、経済が減速しました。

2019年に予定されている次の増税を前に、政府は過去の増税時の消費者行動・企業行動を分析し、経済の振れをコントロールしてリスクを軽減する政策を検討中です。行動経済学的な視点から、何かアドバイスやアイデアはありますか。

セイラー 日本の状況については研究していないので深いコメントはできませんが、著書の中で紹介した事例が参考になるでしょう。

オバマ政権時代、財政危機の初期の2009年に1回限りの減税をやろうとしました。仮にその額を家計当たり10万円としましょう。その際10万円の現金を1回で渡すのか、それとも2000円に分けて毎週与えるのかについて、一般の経済学者はどちらでも同じという意見でした。

オバマ政権には皮肉な結果に

一方、行動経済学者は、あらゆる角度から検討します。総額を一度に受け取ると、人々はそれを貯金に回すけれども、2000円が毎週の給料に加えられる程度なら、特にアメリカ人の場合は増額がはっきりわからず使い切ってしまうという調査結果があります。ですから私は、細切れに与えた方が経済を活性化するとアドバイスしました。

政策としてどちらが正しかったかを証明するのは、非常に難しいことです。結果的には分割され、おそらく経済活性化には有益だったはずですが、オバマ大統領にとっては良策とは言えませんでした。

なぜなら誰も減税を意識できなかったからです。大統領から10万円もらったとなれば、大統領の人気は上がったでしょう。最良の政策と最良の政治との間にはトレードオフがあるということなのです。

白井 皮肉な結果になったということですね。

セイラー この話は、もうひとつの社会科学である政治科学に繋がります。日本にも同様の組織があるかと思いますが、アメリカには大統領経済諮問委員会(CEA)という組織があります。ところが、社会学諮問委員会や心理学諮問委員会はありません。

申し上げたいのは、あらゆる諮問委員会を作れということではありません。ただ、イギリスの行動洞察チーム(BIT)はすでに100人を超える組織になっており、あらゆる専門家が多様な問いに対してアドバイスできるようになっています。

EU離脱に至らなかった可能性も

セイラー EU離脱を例にお話ししましょう。デビッド・キャメロン首相(当時)が、公約通り国民投票を行うことになった際、二つの選択肢をどう呼ぶかに関して言葉を選ぶことができたはずです。

実際には、EUに留まる方を「残る(Remain)」と呼びましたが、これは弱い言葉です。「続ける」「改良する」「リフォームする」など、他にもっと投票を促す強い言い方があったはずです。

結果は2%の得票差でしたから、言い方次第では逆転したかもしれません。

人々はイエスかノーで投票することに慣れていますが、何をイエスにして何をノーにするかが問題です。当時、政府に対して怒りを感じている国民が多かったわけです。彼らにとって、「離脱(Leave)」は力強くアクティブでしたが、「残る」は退屈で眠くなる言葉でした。

「残る」ではなく、もっとアクティブな要素が加えられていたら、そしてわれわれに2週間のテスト期間を与えてくれていれば、結果は違っていたかもしれません。

イギリス政府からは様々な分野でアドバイスを求められていたのですが、これについては特に何も聞かれませんでした。行動洞察チーム(BIT)がスタートしたばかりの頃は、私もよく現地に出向き、キャメロン首相やジョージ・オズボーン財務大臣(当時)にばったり出くわし、意見を戦わせたこともありました。今はチームが大きくなり過ぎてしまったようで残念です。(vol.2に続く

公開日:2018年9月
制作:NewsPicks Brand Design