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日立の人:クレー射撃の「ママアスリート」 数々の苦難を乗り越えた競技人生

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クレー射撃の日本代表選手として活躍してきた日立建機の中山由起枝さん(42)。2000年のシドニー五輪から2021年の東京五輪まで、5度のオリンピックに出場したほか、世界選手権やアジア大会などで輝かしい成績を収めてきました。そして昨年、およそ24年にわたる競技人生を経て、第一線から退く決意をしました。

しかし、ここまでの道のりは平たんなものではありませんでした。アスリートとして活動するかたわら、一人娘の芽生さんをシングルマザーとして育て、競技と子育てに奔走する毎日だったといいます。さらに、脳の神経疾患である「局所性ジストニア」を患うなど、さまざまな苦難にも直面してきました。

そんな中山さんはどのように困難を乗り越え、競技人生を歩んできたのでしょうか。中山さんの半生に迫ります。

競技を転向して射撃のトップ選手へ

学生時代はソフトボールに打ち込んでいた中山さん。高校ではキャプテンとして、国体や高校総体に出場しました。畑違いに思えるクレー射撃に転向したきっかけは、高校3年生のとき、クレー射撃部の立ち上げをめざしていた日立建機からのスカウトでした。

中山さんを推薦したのは、ソフトボールの元日本代表監督として知られ、当時、日立高崎女子ソフトボール部を率いていた宇津木妙子さんです。「クレー射撃に向いていそうな有望な若い選手を知りませんか」と相談を受けた宇津木さんは、動体視力や体幹の良さなどから中山さんを紹介したといいます。

高校まではソフトボール選手として活躍した(写真中央)(写真提供:中山由起枝)

こうして1997年、高校卒業後に日立建機に入社。間もなく、クレー射撃を本格的に学ぶため、クレー射撃の先進国であるイタリアに渡りました。

「今振り返ってみても、高校を出たばかりの、銃を持ったこともない18歳の私を、海外に送り込んで練習させようと決断した日立建機の覚悟はすごいなと思います(笑)」

会社を挙げてのバックアップもあり、入社3年後の2000年には、日本代表として国際大会への出場を果たします。中山さんはその後も世界のトップ選手たちと競いながら、着実に結果を残していきました。

ママアスリートとして試行錯誤の日々

インタビューに応じる中山さん(写真:野崎航正)

中山さんは、世界で活躍するアスリートである一方で、一人娘の芽生さんを育てるシングルマザーでもありました。海外遠征が多かった中山さんにとって、仕事と育児の両立は苦労の連続でした。

「3歳ごろから(娘の)芽生を、射撃場での練習や公式戦に連れて行きました。娘と離れ離れになるのは辛い、だからといって生活のためには射撃を辞めるわけにはいかない。じゃあ、連れて行っちゃおうと。射撃場に許可をいただき、そこで遊ばせたり、宿題をさせたりしました。夏休みの宿題など、工夫してやれることは射撃場でやっていましたね」

競技のかたわら、芽生さんとの時間を大切にしてきた(写真提供:中山由起枝)

しかし遠征のときなど、どうしても長期間、離れ離れにならざるを得ないこともありました。寂しさを募らせた芽生さんは、6歳のとき、中山さんに「射撃を辞めて」と言ったことがあったといいます。芽生さんは当時をこう振り返ります。

「優しい祖父母が面倒をみてくれていましたが、やはり母の存在は大きくて、寂しい思いをしたこともありました。なぜ私の母は家にいないんだろうと感じながら、同時に他のお母さんとは違ってかっこいいことをしているとも思っていました。幼いなりの葛藤がありましたね。でも、成長するにつれて寂しさより誇らしさの方が上になり、応援する気持ちが勝っていきました」(芽生さん)

自身の経験踏まえママアスリート支援

子育てをしながら、競技で結果を残し続けた(写真:野崎航正)

芽生さんが高校に進学し、子育てが落ち着つくと、中山さんは将来指導者になることをめざして、新たな挑戦を始めます。2017年、38歳で順天堂大学大学院スポーツ健康科学研究科に入学。スポーツ分野における女性の活躍について研究し、修士論文では、「女子クレー射撃選手のコーチングキャリアの可能性」について執筆しました。

MANのオンラインイベントに参加した中山さん(後列左)(写真提供:一般社団法人MAN)

卒業後は、大学院での研究を生かし、女性アスリートの支援活動を始めた中山さん。ママアスリートを支援する一般社団法人MAN(Mama Athletes Network)の理事として、ママアスリート向けの情報発信やイベントの運営に携わるなど、中心メンバーの一人として活躍しています。

「子育てで一番大変だったころは、競技と両立させるために、親や会社のサポートに頼るしかありませんでした。娘が小さい頃はママアスリート仲間がいなかったので、子どもを育てながら競技に励んでいるのは私くらいなのかなと思いながらやっていくしかなかったんです。少しずつ支援体制が整ってきているとは思いますが、競技を続けながら結婚したい、子どもを産みたい、というアスリートの参考になる情報を積極的に伝えていきたいと思っています」

集大成となる国際大会を前に襲った病魔

大山さん(右)と2020年に再婚し、公私ともにパートナーになった(写真提供:日立建機)

競技のみならず、多方面に活躍の場を広げていった中山さん。2020年3月には同じくクレー射撃で日本代表として活躍する大山重隆さんと再婚し、公私ともに充実した日々を送っていました。

しかし、再婚した直後に、思いもよらない事態が中山さんを襲います。競技生活の集大成と位置付けていた大会を直前に控え、競技に使用する散弾銃の引き金が思うように引けなくなってしまったのです。

「プレッシャーや重圧から症状が出ているのかなと思って、専門家に相談したり、メンタルトレーニングをたくさん入れたりしたのですが、何か違う、メンタルじゃないなと。練習で克服できるかもしれないと思って反復練習を増やしたら、さらに悪化してしまって。最後には引き金が全く引けず、試し撃ちすらできなくなってしまいました」

苦悩する中、たまたま見ていたテレビ番組である脳の病気について知った中山さん。不調の原因がその病気ではないかと考え、病院で検査を受けることを決意しました。そこで、体の一部が思うように動かなくなる「局所性ジストニア」だと告げられたのです。

体を連動させることができなくなると、競技では命取りになる(写真:野崎航正)

局所性ジストニアとは、脳神経に異常が生じ、手指などの筋肉がこわばったりけいれんしたりして、思い通りに動かなくなる神経疾患です。ピアノの演奏など長期間にわたり繊細な反復運動を繰り返し、体の一部位を酷使することで発症すると言われています。

治療方法は、手術、薬物治療、理学療法などがありますが、手術の場合は頭蓋骨に穴を開けて行われます。医師からは「戻っても7~8割。ベストパフォーマンスを出せる状態に戻すことは非常に難しい」と告げられました。しかし、症状が改善するならばと、中山さんは手術を即断します。

「2020年は私の集大成だと思い、並々ならぬ想いを抱いてきました。再び引き金を引ける可能性があることにチャレンジせず、このまま射撃ができなくなる未来予想図は描けませんでした」

病気を乗り越えベストパフォーマンス

競技に戻れるならと、中山さんは手術を即断した(写真:野崎航正)

こうして中山さんは手術を受けることになりましたが、娘の芽生さんや夫の大山さんは、すぐに首を縦に振ることができませんでした。

「日常生活には問題がなかったので、脳を手術することで歩行や会話に支障が生じたり、記憶が失われたりする可能性もあると思うと、アスリートの娘ではなく家族として反対しなきゃと思いました」(芽生さん)

「目標としていた国際大会が翌年に延期されて、今からなら何とか間に合うかもしれないという先生の話を聞き、選手として応援すべきなのか、家族として反対すべきなのか、相当な葛藤がありました」(大山さん)

迷わず手術することを決めた中山さんですが、手術前は眠れない日々が続きました。しかし、手術直前に自宅にいる芽生さんとビデオ通話をした後、「この試練を乗り越えなければ」という思いを強くしたといいます。

手術直前、頭には固定する器具が装着された(写真提供:中山由起枝)

こうして手術に臨んだ中山さん。手術は無事に成功し、銃の引き金を引けるまでに回復しました。しかし、世界で競うレベルに戻すのは容易ではありません。

「練習を再開しましたが、調子が悪いとすぐ分かるようなスコアしか出せない状態でした。事情を知らない周囲から心配されるのがものすごく辛くて。必死にリハビリやトレーニングを重ねて前には進んでいるけれど、大会に間に合うのか分からない焦りや不安がありました」

家族にも心配が募ります。夫の大山さんは、リハビリやトレーニングに苦労し、時には練習中に涙を流す中山さんの姿を見続けてきました。また、芽生さんも、術前に支障のなかった日常生活に影響が及んでいる姿を見て、手術が成功したのかどうか不安に感じたこともあったといいます。

苦しい日々を乗り越え、最後の国際大会に臨んだ(写真:野崎航正)

そして迎えた2021年の夏。不安が残る中、中山さんは国際大会に出場しました。中山さんが出場したのは、女子トラップ個人と、大山さんとの男女ペアによる混合トラップ団体の2種目。必ず出場したいと目標にしてきた団体戦では、最終ラウンドで2人とも満点をたたき出し5位入賞を果たしました。

「大会を終えて、今までにない満足感や充実感を味わうことができました。今大会は、メダルを獲得したいというこれまでの気持ちとは違って、1年延期を耐えてきた精神力や、磨いてきた技術を披露し、ともに戦った仲間や関係者をリスペクトする場だと感じました。私自身もやり切ることができて、本当に達成感しかなかったです」

これまで通り引き金を引けるかどうかも分からない状態でのベストパフォーマンス。ペアを組んだ大山さんは「本当にすごい人だと思いました。完全には元に戻れないと言われていたのに、元に戻るどころか“ニュー中山由起枝”が生まれてしまった」と尊敬のまなざしを向けます。

会場には足を運べなかったものの、スマートフォン越しに応援していた芽生さんも、誇らしげにこう振り返ります。

「やっぱり、中山由起枝は普通じゃない」

人生のセカンドステージへ

芽生さんからの手紙を中山さんは今も大切にしている(写真:野崎航正)

クレー射撃の選手として、前を見据えて駆け抜けてきた24年。有終の美を飾った中山さんは、この大会を最後に第一線から退くことを決断しました。娘の芽生さんも語学学習のため海外へと旅立ち、公私ともに一つの節目を迎えました。

「後悔はしていません。やり切った満足感と達成感を最後に味わうことができ、『楽しいな』と思えたのが良かったです」

人生のセカンドステージを歩み始めた中山さん。今後は、一般社団法人MANの活動をはじめとして、女性やママアスリートへの支援を行なうほか、後継者の育成や社内の人材育成に貢献したいと考えています。

「競技キャリアで私が培ってきたことをすべて還元すること、そして社会に貢献すること。それが私の使命だと思っています。成功だけではなく、失敗も含めて人間は形成されるものだと考えていて、そのことを自らの体験と合わせて伝えていくことが今後の私の役割だと思っています」

母親でありアスリートであり続けた人生に一区切りをつけた中山さん。さまざまな苦難を乗り越えて得た知識と経験をもとに、さらなる挑戦を続けていきます。